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無駄話の中の花

人生に無駄は無いと言いますが、無駄話の中にも花を見つけることがあります。

それはその話をしている本人の中では、それがヒットしている、流行っているものかもしれませんが、

何かにこだわっている時は皆、夢中になっている時で、それを聞くのも楽しいことがあります。

人の悪口では苛つきますが、その毒の中に本人が気が付いていない自分を語っていることがよくあります。

 

グループでいるというのは、そのコミュニティを大事にしているのですが、

それに意識しすぎると外が見えなくなります。

小さなコミュニティの中では、生き苦しいですが、それにこだわる必要がなく人と関わり会えれば、

無駄話の中にも花があることに気が付きます。

 

気が付かないことに気が付かされたこともあるでしょうし、

思っていたことの確認が出来たりもします。

何かのメッセージやアドバイスになっていることもあります。

無意識に話していることを、本人は忘れてしまいますが、他人は覚えています。

ですから、慎重に話さなければ後で後悔することになります。

無駄話も無意識で話すよりも、意識して何をどのようにと考えてみたり、

日頃から誰かを批判しないように気を付けているとか、

愛を感じて生きているとか、感謝を忘れていない、許すことを知っているとか

誠実に接することを心がけているとかしていると、

あなたが無駄だと思われる話の中に、ムダは一つもありません。

 

どのように人に思われるのかは、常にどのように自分を観ているかによるので、

誰よりも自自分を心地よくさせてあげることをしていれば、

存在価値が上がり、人に話しかけられたり、アドヴァイスを求められたりするでしょう。

心地良いというのは、優越感にしたる、優位になる、皆がいうことを聞くというものではないことは

きっとわかっていることでしょう。

為になる無駄話をどんどん発して、無駄ではない話だった、為になる話だったと

言われるように精進していきたいものです